猿渡製麺所の歴史

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雪の糸素麺の継承

7代目 猿渡マト

堀庄蔵(屋号 松風)家はそうめん製造の名家で、江戸時代から製麺業を続けていた。堀庄蔵は6代目で子供が二人いて、姉マトは幼少の頃から家業を手伝うことが多く、製造技法も日々の生活の中で修得した。明治33(1900)年、猿渡辰蔵と結婚して猿渡製麺所をおこす。屋号は「雪の糸」で猿渡マト(7代目)は堀家の優れた製麺技術をうけつぎ、明治、大正、昭和と時代が変わっても南関そうめんの特徴である、完全手作り技法を頑なに守り続けた。

特に食料統制の厳しかった第二次世界大戦中、わずか一軒になりながらも、『南関そうめん』の暖簾(のれん)を降ろさなかった。努力と忍耐の成果は、数々の博覧会で「入賞」を獲得し、全国レベルでの「名産」の地位を築き上げた。

80歳まで作業場に足を運ぶほどそうめん作り一筋で、『南関そうめん』の今があるのも、この人物なしでは語り得ない。

その技法は猿渡八千代(8代目)から井形朝香(9代目)へと受けつがれた。70年間雪の糸素麺を守ってきた井形朝香の孫である師富慶太朗が10代目となり、歴史ある「雪の糸素麺 猿渡製麺所」を継承して現在に至る。

※参考文献:南関町史

猿渡製麺所の栄誉

猿渡製麺所に与えられた栄誉は次のようなものである。

●肥後実業団体連合会品評会 明治36年2月11日
一等賞 雪乃糸素麺 猿渡辰蔵

●第5回内国勧業博覧会 明治36年7月1日
三等 素麺雪糸 猿渡辰蔵

●熊本物産共進会 明治37年3月5日
二等賞 猿渡辰蔵

●藤公記念共進会褒賞受與之證 明治42年4月18日
参等賞 素麺雪の糸 猿渡マト

●九州沖縄物産共進会 大正7年4月25日
二等賞 猿渡辰蔵

●糸素麺 右ハ本年三月三十一日皇太子殿下本県ニ行啓被為在候、物産館ニ於テ臺覧ニ供シ候條此段乃通知候也 熊本県
大正九年五月三〇日 猿渡辰蔵殿

●昭和10年に新興熊本大博覧会が開催され、感謝状贈呈者として麺類有功状が猿渡辰蔵と堀勝蔵に与えられている。